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論文では勝ったが、特許では負けた

── C型肝炎ウイルス診断薬開発と「制度に追い抜かれた」研究者の記録

1989年の年末、私はアメリカでの研究生活を終えて日本に帰国し、1990年からがんセンター研究所に就職した。新しいプロジェクトは、当時まだ正体が完全には明らかでなかったC型肝炎ウイルス(HCV)の診断薬の開発だった。

アメリカ滞在中から、Chiron(カイロン)社がHCVの正体を掴んだという噂は耳にしていた。しかし、詳細は伏せられており、誰もが手探りでHCV診断法の開発に取り組んでいた時期だった。

私は、大腸菌でHCVのコアタンパク質を発現させることに成功し、それを抗原として使う診断薬のプロトタイプを短期間で完成させた。論文も早々に仕上げ、学術的には先を取ったと自負していた。

ところが、その論文が世に出る頃、Chiron社がすでに該当技術に関する特許をアメリカで出願済みであることを知る。彼らは「論文の前に特許を出す」という、すでに確立されたアメリカ型知財戦略で動いていた。私たちには、その感覚も、制度的準備もなかった。

結果的に、私の開発した診断薬は実用化の道を絶たれた。論文では勝っていたが、特許では負けた。しかも、その事実をもってしても、周囲から称賛や共感を得ることはなかった。むしろ、「特許を取れなかった研究者」という目で見られ、職場内での立場は次第に微妙なものになっていった。

さらに次の研究テーマとして、HCVの細胞生産系の構築に取り組もうとした時、それが私に任されることはなかった。明確なアイデアがあったにもかかわらず、見えない妨害と無言の圧力の中で、研究所に足を運ぶのが苦痛になっていった。

私は、研究を離れた。負けたのは、特許ではなく、制度と、空気と、人間関係だった。

それから10年以上が過ぎた頃、ドイツ・ハイデルベルク大学の研究チームがHCVの細胞感染系の確立に成功し、それが現代のHCV治療薬の開発へと結びついていく。彼らの手法を知ったとき、私は静かに笑った。そこには、かつて私が描いていた設計図と同じアイデアがあったからだ。

誰が先だったかは、もはや問題ではない。ただ、あのとき信じた研究が、遠い土地で、時間を越えて、誰かの命を救うものへとつながったという事実。それだけで十分だった。

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