── 1987年、翻訳抑制の謎と孤独な仮説
1987年、私はアメリカで研究生活を送っていた。テーマは、ある遺伝子の発現量を増やすための最適化だった。プロモーターを強化し、配列も調整し、理論上は発現量が上がるはずだった。
ところが、結果は逆だった。発現量を高めようとすればするほど、実際に得られるタンパク質量が減る。転写量は変わらない。翻訳段階で何かが起きていた。
私は原因を探った。さまざまな変異配列を作り、構造解析を行う中で、翻訳領域内に短いパリンドローム構造、つまりRNAが自身と部分的に結合しうる小さな回文構造があることに気づいた。その構造を壊すと、翻訳が再び進行する。つまり、その小さなRNA構造が、翻訳を“自己抑制”していたのだ。
これは、RNAが自らの翻訳を制御するという、当時としては非常にラディカルな仮説だった。私はこの結論を共有したが、周囲の反応は冷淡だった。「そんな機構は聞いたことがない」「偶然の結果ではないか」と、まったく相手にされなかった。
私は孤立した。誰も信じてくれなかった。しかし私は、それが現象として確かに存在していると信じていた。
その10年後、RNA interference(RNAi)の研究が爆発的に進展し、RNAが翻訳や遺伝子発現を制御するという事実が世界に認められる。2006年には、RNAiの発見者たちにノーベル賞が授与された。
私は、愕然とした。あのときの仮説は、遠からずこの現象を指していたのだと確信した。しかし私の発見は、誰にも届かず、記録にも残らなかった。そうして私は、科学の“先に触れた者が孤独である”という事実を身をもって知った。
今となっては、そのことを誇りにも恥にも思っていない。ただ、あの現象が事実だったこと、それを誰よりも早く見ていたこと、それが私にとっての真実である。